芦屋のセレブ少年はなぜ泥臭い下積みを耐え抜けたのか——末澤誠也が名門高校時代に下した「覚悟」と原点
末 澤 誠也 高校時代、彼が放っていた特異なオーラと、ステージに立てない日々の葛藤を覚えている関係者は今も少なくない。2024年の鮮烈なCDデビューから2年が経過した2026年現在、Aぇ! groupのメインボーカルとしてスタジアムの天井を突き破るようなハイトーンボイスを響かせる末澤誠也。洗練されたビジュアルと圧倒的なパフォーマンスでシーンの最前線を走る彼の背骨は、間違いなく多感な10代後半の濃密な時間に形作られたものだ。華やかなパブリックイメージの裏側で、彼はいったいどんな学生生活を送り、いかなる選択を迫られていたのだろうか。
兵庫県屈指の高級住宅街として知られる芦屋で育ち、どこか浮世離れした気品を漂わせる佇まいから「お坊ちゃん」と称されることも珍しくない。だが、ネット上で今なお熱心に検索され続ける末 澤 誠也 高校というワードの背景を探ると、浮かび上がるのは温室育ちの甘さとは対極にある、泥臭くストイックな少年の生々しい姿だ。部活動と事務所のレッスン、そして進路を巡る親との対峙。彼のブレイク前夜を紐解く手がかりが、そこに凝縮されている。
芦屋育ちの「リアルお坊ちゃん」説と、男子校ノリの青春群像劇
地元・兵庫県の私立名門校である芦屋学園へと進学した末澤。中高一貫の開放的なキャンパスで、彼は目立つ存在でありながらも、決して取り巻きを従えて威張るようなタイプではなかったという。
実家はお金持ち、私服のセンスはずば抜けて高く、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせる。ところが、ひとたび口を開けばバリバリの関西弁でツッコミを入れ、友人とふざけ倒す。周囲の同級生たちにとって、彼は「ちょっとカッコつけだけど憎めない、いつもの誠也」だった。当時の同級生が後に漏らした証言によると、制服の着こなしひとつにも独自のこだわりを見せ、スクールバッグの持ち方やスニーカーのチョイスにまで美学を貫いていたという。現在見せるファッションアイコンとしての片鱗は、すでにこの教室の片隅で芽吹いていた。
「仕事がない」週末の虚無感——退所を幾度も踏みとどまった10代の葛藤
だが、学校を一歩出ればシビアな現実が彼を待ち受けていた。2009年、15歳になる直前の夏に入所を果たした末澤だが、高校進学後の活動は順風満帆とは程遠いものだったのだ。
関西ジュニアの層は厚く、同期や後輩が次々と前列に抜擢されていく。週末になってもリハーサルの招集がかからない。松竹座のステージに自分の立ち位置がない。平日、普通の高校生として授業を受け、放課後を過ごす平穏な日常と、アイドルとしての停滞感の落差。そのギャップは16歳、17歳のプライドを容赦なく削り取った。「もう辞めたほうがいいんじゃないか」。鞄に教科書を詰め込みながら、幾度も頭をよぎる自問自答。それでも踏みとどまれたのは、ステージの真ん中で浴びた歓声の感触が、どうしても忘れられなかったからに他ならない。
制服姿で通い詰めたダンススタジオ、ボーカルの基礎を築いた放課後
呼ばれないなら、呼ぶしかない。仕事の空白を埋めるように、高校時代の末澤は外部のダンススクールや自主練習へと没頭していった。
放課後、ネクタイを緩めて足早に向かった先は、熱気が立ち込めるスタジオだった。ヒップホップ、ジャズ、ロック。ジャンルを問わずステップを刻み、床に汗を撒き散らす。現在、Aぇ! groupの武器となっているキレの鋭いダンスと、どんなに激しく動いてもブレない体幹は、この「仕事がなかった高校時代」に黙々と培われたものだ。ただ悔しがるだけでなく、悔しさを技術へ昇華させる。その冷徹なまでの自己客観視と反骨心こそが、末澤誠也という表現者の核を作った。
大学進学か芸能界か:両親との約束と「タイムリミット」の存在
高校3年生という時期は、すべての少年少女に進路の決断を突きつける。芸能活動が軌道に乗っているとは言い難かった末澤にとっても、それは例外ではなかった。
将来を案じる両親との間には、当然ながら現実的な話し合いが持たれた。「大学には進学すること」。それが芸能活動を続けるための絶対条件だった。中途半端な覚悟では両立などできない。彼は神戸学院大学人文学部への進学を決め、学業と芸能の二重生活を継続する道を選ぶ。高校の卒業証書を手にした日、彼は自分自身に静かなタイムリミットを課していたのかもしれない。いつまでも夢に甘えることは許されない、というシビアな現実感覚が、彼を「諦めの悪い男」へと仕立て上げた。
同級生が語る「教室での素顔」と今につながる圧倒的求心力
教室での末澤は、決してアイドルであることをひけらかさなかった。むしろ、仕事について尋ねられても照れくさそうにはぐらかすことが多かったという。
体育祭で本気を出して走り、文化祭の準備で仲間と居残りをする。そんな等身大の高校生としての日常が、彼の人間性に豊かな血肉を与えた。誰に対しても分け隔てなく接し、筋の通らないことには真っ向から異を唱える。当時から備わっていたその真っ直ぐな気質は、後にグループ内で年下メンバーたちから絶大な信頼を寄せられ、時に「狂犬」と愛されながらも精神的支柱となっていく資質と完全に地続きである。
2026年の現在地から見つめ直す、あの3年間の必然性
2024年のデビュー時、29歳という異例の遅咲きがメディアで大きく取り上げられた。だが2026年の今、彼のパフォーマンスを見て「遅咲き」と形容する者はもういない。最初から完成されていたかのような堂々たる佇まいに、観客はただ圧倒されるだけだ。
もしも高校時代にトントン拍子で売れていたなら、現在の末澤誠也は存在しなかっただろう。スポットライトから見放され、芦屋の街を制服姿で歩きながら歯を食いしばったあの3年間。あの時間があったからこそ、彼の歌声には聴く者の胸を締め付ける切実な響きが宿り、どんな逆境にも怯まないタフネスが身についた。青春の焦燥と孤独をすべて燃料に変えて燃え盛るその炎は、これからもトップアイドルとしての彼を照らし続ける。 (出典: 末 澤 誠也 高校(Yahoo!ニュース))