血のような夕焼けと消えゆく黄色:『叫び』本物はどれなのか、オスロ現地で追った4枚の数奇な運命【2026年最新】
ムンク の 叫び 本物をひと目見ようと、北欧の凍てつく風が吹き抜けるオスロに降り立った旅行者の多くは、展示室で予期せぬ混乱に見舞われる。壁に掛けられているのは、私たちが美術書で慣れ親しんだ「あの1枚」だけではない。エドヴァルド・ムンクが遺した『叫び』のオリジナルは、習作や出来損ないではなく、画家本人が画材や支持体を変えて丹念に仕上げた主要作品だけで4枚存在する。どれもが紛れもない直筆のマスターピースでありながら、放つ空気感も、辿ってきた受難の歴史もまったく似ていない。
薄暗いギャラリーの中、厳重なセキュリティガラスの奥で蠢くような筆致を凝視する群衆がいる。かつて国家規模の盗難劇に巻き込まれ、銃口を向けられ、深い損傷を負いながら生還した壮絶な軌跡を知ると、目の前に現存するムンク の 叫び 本物の持つ異様な切迫感に息を呑むはずだ。なぜムンクは同じ構図を執拗に反復したのか。そして、世界中を惹きつけてやまない「決定版」はいったいどこにあるのか。2026年の最新知見と現地取材を交え、名画の深層を解き明かす。
4枚すべてがオリジナル?「叫び」に隠された油彩・パステル・テンペラの差異
世間一般では「叫び」という絵画が世界に1枚きりだと信じられがちだ。しかしムンクにとって、このモチーフは一度吐き出して終わるような生半可なテーマではなかった。
現存する4枚の内訳は極めて特異だ。最も初期に描かれた1893年版が2枚。厚紙にテンペラや油彩、クレヨンを混ぜ合わせたオスロ国立美術館所蔵のヴァージョンと、同じ年に描かれた素描に近いパステル版である。次いで1895年、色彩の鮮やかさを極めたパステル版が描かれた。そして晩年に近い1910年、ボール紙にテンペラで荒々しく叩きつけるように描かれた1枚が加わる。これらに加え、白黒のリトグラフ版画が数十枚刷られた。
構図こそ酷似しているものの、画材の配合がまったく異なる。油彩特有の重厚な沈み込みを選ぶ日もあれば、粉末状のパステルで神経質な線を走らせる日もあった。ムンクは模倣したのではない。自らの内奥で鳴り響く「自然を貫く叫び」の波長を、異なるメディアで幾度もチューニングし直していたのだ。
オスロ国立美術館とムンク美術館——観光客を惑わせる「2つの聖地」
「オスロに行けば見られる」というガイドブックの安直な文句を信じて現地へ向かうと、足元をすくわれる。市内に展示施設が2カ所あるからだ。
日本人の脳裏に焼き付いている「教科書の叫び」——茶褐色と赤が淀みなく混ざり合う1893年のテンペラ・油彩画——は、オスロ国立美術館(Nasjonalmuseet)のエドヴァルド・ムンク展示室の中央に堂々と鎮座している。これこそが美術史上、最も象徴的なオリジナルだ。
一方、ウォーターフロントに聳える超高層のムンク美術館(MUNCH)が所蔵するのは、1893年のパステル画、1910年のテンペラ画、そしてリトグラフである。ただし、ここへ行っても常時すべてが見られるわけではない。極度の光過敏性を持つ紙や絵の具を保護するため、ムンク美術館では3作品を同一の展示ケースに収め、特製の回転扉によって1時間に1作ずつ交代で一般公開するローテーション展示を採用している。目当てのヴァージョンに巡り合えるかどうかは、展示室を訪れるタイミング次第というわけだ。
白昼堂々の強奪と銃撃戦:名画を襲った2度の盗難サスペンス
この傑作の歴史を語るうえで、血生臭い犯罪の影を避けて通ることはできない。あまりに有名であるがゆえに、『叫び』は二度もオスロの街から忽然と姿を消している。
最初の悲劇は1994年2月、リレハンメル冬季五輪の開会式当日だった。警備の手薄さを突いた2人組の男が、オスロ国立美術館の窓に梯子をかけ、わずか50秒で1893年版のカンヴァスを奪い去った。犯人は現場に「ずさんな警備に感謝する」と殴り書きのメモを残していた。この絵は約3カ月後、イギリスの覆面捜査官による囮捜査によって無傷で発見され、世界を安堵させた。
だが悪夢は終わらない。2004年8月、今度は白昼の旧ムンク美術館に銃を持った覆面強盗が押し入る。威嚇射撃の混乱のなか、壁から強引に引き剥がされたのは1910年版の『叫び』と名作『マドンナ』だった。2年後に警察が隠し場所を突き止めたとき、名画の右下には湿気による修復不可能な染みが広がっていた。現在、ムンク美術館で見られる1910年版の痛々しい傷跡は、暴力に晒された受難の証拠としてあえて完全に修復されず残されている。
「狂人にしか描けない」左上の鉛筆書きを科学が暴いた日
1893年版(国立美術館蔵)の左上、燃え盛る雲の筆致の中に、肉眼では辛うじて読み取れる程度の小さな文字が鉛筆で記されている。
「Kan kun være malet af en gal Mand!(狂人にしか描けない)」
長年、美術愛好家を憤慨させた何者かによる悪質な悪戯だと考えられてきた。しかし、国立美術館の研究チームが赤外線スキャニング技術と筆跡鑑定を駆使した徹底調査を実施した結果、驚くべき事実が確定した。筆跡は、ムンク本人の手紙や日記の筆跡と完全に一致したのだ。
1895年、初めてこの絵を公の場に出した際、当時の批評家や医学生から「ムンクの精神は異常であり、即刻精神病院へ収容すべきだ」と激しいバッシングを受けた。深く傷ついた青年ムンクが、展示会場の片隅で、震える手で自嘲と怒りを込めて書き殴った告白。その鉛筆の跡は今、作者自身の痛切な肉声として絵画の一部になっている。
個人蔵のパステル画が記録した100億円超えの熱狂と現在の行方
4枚のうち、唯一国家の手を離れ、個人コレクションとして生き続けているのが1895年のパステル画だ。ノルウェーの海運王トマス・オルセンの遺族が長年秘蔵していたこの1枚は、2012年、ニューヨークのサザビーズオークションに出品され、当時の美術品落札最高額となる約1億1990万ドル(当時のレートで約96億円、現在換算で180億円超)で落札された。
競り落としたのは、アメリカの大富豪で慈善家のレオン・ブラック。このパステル版の最大の魅力は、驚異的な保存状態による蛍光色のような発色と、ムンク自身が木製フレームに手書きした詩の存在にある。「友人たちは歩き去り、私はただ一人、不安に震えながら佇んでいた」という有名な詩節が、オリジナルの額縁に直筆で刻まれているのだ。
現在この作品は、ニューヨークのプライベートミュージアムなどに極めて稀に貸し出される以外、厳重なプライベート・ヴォールト(保管庫)に眠っている。公の美術館が保有する3枚とは異なり、一般の鑑賞者がその実物を拝める機会は奇跡に近い。
2026年の保存科学が挑む「退色するカドミウム・イエロー」の防衛線
いま、美術館関係者と科学者たちが最も神経を尖らせているのが、目に見えない絵の具の「死」だ。
ムンクは当時、産業革命によって誕生したばかりの最新顔料であった「カドミウム・イエロー」を好んで使用した。しかし、当時の化学合成技術は未熟で、低品質な硫化カドミウムが含まれていた。近年のナノレベルの分光分析により、人間の呼気や微小な湿度、展示用照明の紫外線によって、この黄色い顔料が硫酸カドミウムへと酸化・白濁し、表面がフレーク状に剥離しつつある現実が浮き彫りになった。
叫んでいる人物の首元や、夕空を裂く濁流のような筆跡が、100年前の鮮烈さを失い始めている。オスロの学芸員たちは現在、展示室の湿度を45%以下、照度を極限まで落とした光環境を徹底し、作品の周囲を特殊な不活性ガスで満たすマイクロカプセル化の実験を重ねている。天才が遺した感情の絶叫を、次の100年へそのまま届けるための戦いは、展示室のバックヤードで今この瞬間も静かに続いている。 (出典: ムンク の 叫び 本物(Yahoo!ニュース))