785段で引き返す人が知らない「1368段の静寂」――2026年、あえて過酷な「こんぴら さん 奥 社」へ向かう理由
こんぴら さん 奥 社を目指す足音が、朝露にしっとりと濡れた石段に乾いた音で響く。香川県琴平町、象頭山の中腹に鎮座する金刀比羅宮。大半の観光客は、讃岐平野を一望できる785段目の御本宮で肩で息をし、「ここまで登れば十分だ」と安堵して踵を返してしまう。だが、その先に続く森の深淵を知る者は、決してそこで歩みを止めない。標高421メートル、累計1,368段の険路を登りつめた断崖絶壁に、厳魂神社(いづたまじんじゃ)――通称、奥社がひっそりと佇んでいる。
吹き出す汗を拭いながら見上げる杉並木は、御本宮までの賑やかな参道とは明らかに空気が違う。2026年の今、スマートウォッチの心拍数アラートを横目に気にしつつも、あえて過酷なこんぴら さん 奥 社への急勾配に挑む人たちが後を絶たない。画面越しの情報で何でも手に入る時代に、彼らはなぜ、太ももを軋ませてまでこの頂を目指すのか。その理由は、観光パンフレットの定型句をいくら眺めても決して分からない、現地を踏みしめた肉体の体感そのものにあった。
785段の喧騒を背に、別世界の原生林へ
御本宮の右手奥、木戸をくぐった瞬間に肌寒さすら覚えるほどの静寂が押し寄せる。それまでの土産物屋や参拝客の話し声が、まるで舞台の幕が降りたかのようにふつりと途切れるのだ。ここから先は、神域のさらに奥深くへと分け入る小道になる。
足元を支える石段は、次第に不規則で険しい表情を見せ始める。舗装された参道とは違い、木の根が石を割り、苔がしっとりと表面を覆う。鳥のさえずりと、自分の乱れた呼吸の音だけが耳に届く。歩を進めるごとに日常の雑音が剥ぎ取られていく感覚は、どこか神秘的ですらある。
断崖に潜む天狗の視線――厳魂神社が放つ独特の気配
最後の急勾配を登り詰めると、突如として視界が開け、朱色の鮮やかな社殿が姿を現す。ここが厳魂神社だ。金刀比羅宮を守護する天狗となった金剛坊勇光上人を祀るこの場所には、山岳信仰の生々しい息吹がそのまま残されている。
社殿の左手にそびえ立つ標高差のある巨岩「威徳巌(いとくがん)」を見上げて息を呑まない者はいない。垂直に切り立った岩壁の遥か上方、目を凝らすと天狗と烏天狗の面が彫り込まれているのがわかる。険しい岩肌から静かに見下ろすその異様な造形は、ここが単なる景勝地ではなく、畏怖と祈りの対象であった歴史を無言のうちに突きつけてくる。
歩くことで思考を削ぎ落とす――2026年の「肉体派デトックス」
近年、この奥社を目指す層に変化が見られる。目立つのは、カジュアルなトレッキングウェアに身を包んだ20代から30代の単独行やカップルだ。スマートフォンを開けばあらゆる最適解が見つかる日常から離れ、「ただひたすら次の段に足を乗せる」という単純労働に没頭するためにやってくる。
頭を空っぽにして石段を踏みしめる時間。デジタル社会で酷使された脳にとって、乳酸の溜まったふくらはぎの痛みこそが最も強烈な現実感を取り戻す手段になっている。1,368段という数字は、妥協を許さない絶妙なハードルとして、現代人の渇いた達成感を鋭く刺激しているようだ。
ここだけで手に入る「天狗御守」と、到達者だけが見る地平線
奥社に辿り着いた者だけが手に入れられる特別な授与品がある。「天狗御守」だ。赤と黒の袋に天狗の顔が刺繍されたこのお守りは、御本宮の授与所では手に入らない。自らの足で1,368段を登りきった証として買い求める人の列が、静かな境内に小さく伸びる。
展望台からの眺めも格別だ。御本宮からの景色よりも一段と高い視界には、讃岐富士(飯野山)の美しい稜線がくっきりと浮かび上がり、遠くには瀬戸内海の青い水面が光を反射している。汗が風に冷やされていく心地よさとともに、眼下に広がる街並みを見下ろす瞬間、登ってきた苦労は一瞬で霧散する。
甘く見ると後悔する? 往復2時間半のリアルな装備と注意点
ただし、奥社への道程は気軽な散策気分で挑むと痛い目を見る。御本宮から奥社までは片道約1キロ、往復で約50分から1時間ほどかかる。参道の起点から計算すれば往復で2時間半はみておかなければならない立派な登山だ。
ヒールや滑りやすいサンダルでの挑戦は論外であり、履き慣れたスニーカーやライトトレッキングシューズが必須となる。また、御本宮を過ぎると自販機や売店は一切存在しない。途中で水分が尽きれば熱中症や脱水症状のリスクが跳ね上がるため、参道のふもとで飲料水を確保しておくことが何より肝心だ。日暮れが近づくと森の中は一気に暗闇に包まれるため、遅くとも午後2時半までには御本宮を出発する計画を立てたい。
登頂後の讃岐うどんと、門前町でほどける筋肉
膝を震わせながら長い石段を下りきり、門前町へ戻ってきたときの安堵感は何物にも代えがたい。「足が笑っている」のを自覚しながらくぐる、老舗うどん屋の暖簾。いりこ出汁の豊かな香りが、乾いた喉と疲労した胃袋に染み渡っていく。
エッジの立った讃岐うどんをすすり、冷たい水を飲み干すとき、ようやく過酷な巡礼が終わったことを実感する。肉体を限界近くまで使い切り、自然の厳しさに身を浸した後の日常は、いつもよりほんの少し鮮やかに映る。この独特の後味の良さがあるからこそ、人は再び、あの果てしない石段へと引き寄せられてしまうのだろう。 (出典: こんぴら さん 奥 社(Yahoo!ニュース))