人口1万人の町に30万人が押し寄せる3日間――2026年秋、なぜ私たちは今なお「栗山」の熱気に狂わされるのか
栗山 の お祭りの熱気は、夕張郡栗山町の駅前通りに立ち込める炭火の煙と、焦げた甘辛いタレの匂いから始まる。普段は静まり返る人口1万人弱の田園地帯に、道内各地から数十万の群衆がなだれ込む光景は、何度見ても異様で、圧倒的だ。9月下旬、北海道特有の冷涼な秋風が肌を刺す夕暮れ時、歩行者天国を埋め尽くす裸電球が一斉に灯る。その瞬間、道央の片隅にあるこの町は、日常のルールが通用しない巨大な祝祭空間へと変貌する。
札幌から車を走らせておよそ1時間。実りの秋を迎えた田園風景を抜けると、車の列はピタリと動かなくなる。普段なら野鳥の声とコンバインのエンジン音しか響かないのどかな町並みが、中心街に近づくにつれて地鳴りのようなざわめきに覆われていく。道内最大級の露店数を誇る栗山 の お祭りは、単なる神社の秋季例大祭という枠組みをとっくに踏み越えている。冬の足音がすぐそこまで迫る北国で、人々が蓄えたエネルギーを一気に解き放つ、年に一度の通過儀礼なのだ。
300軒がひしめく「露店の迷宮」――昭和の匂いを残す北海道屈指のスケール
栗山駅前から栗山天満宮へと続くメインストリートは、見渡す限り人、人、人。歩くのではない。人の波に流されるのだ。道内各地の祭りが規模縮小や出店規制を余儀なくされるなか、栗山には今なお300軒を超える屋台が連なる。立ち並ぶ露店の全長は2キロメートルを超え、迷い込めば最後、出口を見失うほどの密度だ。
鉄板の上で弾ける焼き鳥の油。湯気を上げる巨大な鍋。綿飴の甘い匂いに、昔ながらの射的やくじ引きの呼び込みが重なる。スマートフォンの画面ばかりを見つめる日々の暮らしが、ここでは完全に無効化される。五感を直接殴りつけてくるような喧騒のなかで、子どもたちは小銭を握りしめ、大人たちは生ビールのカップを片手に顔を赤らめる。ここには、都会がどこかに置き忘れてきた昭和の熱狂が、手つかずのまま息づいている。
キャッシュレスの波と「小銭の手触り」――2026年の現場で起きた小さな摩擦
2026年の今年、栗山の露店街には明らかな変化も見られた。多くの屋台の店先にQRコード決済のスタンドが並び、モバイル通信キャリアの移動基地局車が通り沿いに配備されている。通信障害で決済が止まるリスクを避けるための厳戒態勢だ。実際、若者たちの多くはスマートフォンをかざして手際よく会計を済ませていく。
だが、すべてがデジタルに呑み込まれたわけではない。老舗のたこ焼き屋を切り盛りする70代の店主は、油まみれの指先で千円札を器用に数えながら笑った。「電波がどうこう言う前に、祭りっつうのは小銭をチャリチャリ鳴らして歩くのが楽しいんじゃないかい?」。その言葉通り、子どもたちが泥臭いゲーム屋台に100円玉を叩きつける光景は健在だ。ハイテクと土着の意地がせめぎ合うその光景こそ、今の祭りが持つリアルな断面といえる。
名将の遺産を超えて――栗山英樹氏の情熱と町民が守るプライド
栗山町を語る上で、この地に自宅と少年野球場「栗の樹ファーム」を構える栗山英樹氏の存在を外すことはできない。2023年のWBC制覇以降、全国区となったこの町には今も多くのファンが聖地巡礼として訪れる。祭りの期間中、栗の樹ファーム周辺や駅前でも関連の展示やグッズに目を留める観光客の姿は引きも切らない。
しかし、町の住民たちに話を聞くと、彼らの誇りは「有名人の町」という看板だけに寄りかかってはいない。「監督がこの町を愛してくれたのは本当にありがたい。でもね、この祭りはそれ以前から俺たちの命なんだよ」。そう語るのは、神輿渡御の担ぎ手として30年参加している地元商店街の男性だ。有名税に甘えることなく、自分たちの手で土地の神事を守り抜いてきたという頑固な自負が、神輿を担ぐ荒々しい掛け声の端々に宿っている。
老舗蔵元「小林酒造」の庭先で――北の錦と秋の恵みに喉を鳴らす
栗山天満宮の境内から少し足を伸ばすと、赤レンガの風格ある蔵群が姿を現す。1878(明治11)年創業の小林酒造だ。この歴史ある蔵元もまた、祭りの重要な舞台装置として機能している。秋の蔵出し新酒や、ここでしか味わえない限定の地酒「北の錦」を求め、日本酒党たちが引きも切らず中庭へと吸い込まれていく。
搾りたての酒を注いだプラスチックカップを受け取り、秋刀魚の塩焼きにかぶりつく。立ち上る煙が夕闇に溶け、日本酒の芳醇な香りが鼻腔を抜ける。「これのために1年間働いているようなもんだ」。札幌からJRで駆けつけたという会社員の男性がつぶやく。祭りとは、ただ露店を冷やかすだけのものではない。この大地が育んだ実りと酒を体内に流し込み、来るべき過酷な冬を越すための活力を蓄える場なのだ。
公共交通の限界と大渋滞――ローカル鉄道再編下のアクセス戦争
熱狂の裏で、毎年激しさを増しているのが交通アクセスのボトルネックだ。JR室蘭本線(岩見沢―苫小牧間)のローカル区間に位置する栗山駅は、祭りの期間中だけ異常な過密状態に陥る。普段は1〜2両編成の気動車がのんびり走る路線に、通勤ラッシュ並みの乗客が押し寄せるのだ。駅員が総出で改札口の誘導にあたる光景は、地方鉄道の厳しい現実と祭りの爆発力を同時に浮き彫りにする。
幹線道路も例外ではない。道央道や岩見沢方面からの抜け道は昼前から完全に麻痺し、臨時駐車場待ちの車列が郊外まで延びる。近年は近隣の長沼町や南幌町からのシャトルバス運行など官民を挙げた対策が講じられているが、それでもこの「30万人」という数字を捌き切るのは容易ではない。それでも人々が足を運ぶのは、多少の不便や渋滞を引き換えにしても、この場に身を置く価値があると知っているからだ。
過疎の町が灯す狂気――なぜ私たちは栗山の夜に吸い寄せられるのか
過疎化と高齢化。空知地方の多くの自治体が直面する冷徹な現実は、栗山町にも等しく影を落としている。普段の商店街にはシャッターを下ろした店舗も目立つ。だが、この3日間だけは違う。かつてこの町で育ち、札幌や東京へ出た若者たちが、吸い寄せられるように帰郷する。年に一度、昔の同級生と露店の片隅でばったり出くわし、近況を語り合いながらビールを飲み交わす。
夜が更けるにつれ、天満宮の境内からは太鼓の重低音が響き渡り、人々の熱気が湯気となって夜空へと昇っていく。便利で、清潔で、整然とした日常では決して味わえない、混沌とした生の実感。栗山町が秋の3日間に放つその眩しいほどのエネルギーは、人口減少社会に生きる私たちが無意識に求めている「命の手触り」そのものなのかもしれない。屋台の明かりがひとつ、またひとつと消えゆく寂しさを見届けるまで、誰もこの場所から立ち去ろうとはしなかった。 (出典: 栗山 の お祭り(Yahoo!ニュース))