創業160年目の熱狂。なぜ2026年のいま、滋賀の小さな和菓子店「しろ平老舗」に全国から人が殺到するのか
しろ 平 老舗ののれんをくぐると、外の喧騒が嘘のように静まり返る。漂うのは、蒸籠から立ち上る小豆の芳醇な蒸気と、熟した柑橘が放つかすかな青い匂い。2026年、生成AIが街のあらゆる景色を合理化し、均質化されたフードビジネスが幅を利かせるいま、滋賀県愛知川(えちがわ)の旧中山道沿いに残るこの店は、まるで時間の流れそのものが違う。平日にもかかわらず、早朝から京都や名古屋、さらには都内からわざわざ新幹線を乗り継いでやってくる客の列が途切れない。派手な看板もなければ、バズを狙った奇抜な新商品もない。それでも人々がこの静かな空間を渇望する理由が、確かにそこにあった。
早朝の凍てつく仕込み場にお邪魔した。鈴鹿山脈から湧き出る清らかな水を用い、手練れの職人が蒸し上がった餅生地の熱さを手のひらで確かめている。機械のセンサーではなく、指先の皮膚感覚と日々の湿度だけを頼りに練り上げるその所作には、張り詰めた緊張感とどこか官能的な美しさが同居する。コンビニや量販店で手に入る精密に計算されたスイーツに胃もたれした現代人にとって、ここしろ 平 老舗が紡ぎ出す滋味は、乾いた砂に水が染み渡るような驚きをもたらすのだ。余計な足し算はしない。ただ、素材の命を丸ごと包み込む職人技の潔さがある。
慶応元年創業、中山道・愛知川宿の記憶を継ぐ
創業は幕末の慶応元年(1865年)。京都と江戸を結ぶ中山道の宿場町として栄えた愛知川宿で、旅人の足を休め、喉を潤す菓子処として産声を上げた。東海道に比べて険しい山道が続く中山道において、宿場町の一服は文字通り命を繋ぐ儀式だった。
店主が語る歴史は教科書の記述よりもずっと生々しい。「昔は旅人が草鞋(わらじ)を脱ぎ、ここで一息ついて甘いものを口にしてから、また次の宿場へと向かったんです。今も昔も、人の心と身体を芯から休めるという役目は何一つ変わっていません」。160年の歳月が染み込んだ梁(はり)や柱が、その言葉を静かに裏付けている。
名物「きんかん大福」に見る、職人芸の引き算の美学
看板商品のひとつとして全国に熱狂的なファンを持つのが「きんかん大福」だ。果物を丸ごと餅で包むフルーツ大福は現代のトレンドでもあるが、ここの一品は世の流行とは一線を画している。
主役となる完熟金柑は、じっくりと時間をかけて蜜煮され、果皮のほのかな苦味と芳醇な酸味、甘露の甘さが完璧なバランスを保つ。それを支えるのは、舌の上でふわりとほどける極上の白餡と、極限まで薄く伸ばされた羽二重餅。噛んだ瞬間、果汁がじゅわりと溢れ出し、白餡のまろやかさと混ざり合って喉の奥へと消えていく。甘すぎず、主張しすぎず、果実の生命力を職人の技が静かに引き立てる。これこそが、足し算ばかりが目立つ現代スイーツに対する、痛快なまでの引き算の回答だ。
2026年の消費者が「タイムパフォーマンス」を捨てて並ぶ理由
タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が定着し、食事すらも短時間で効率的に済ませることが美徳とされた時代を経て、いま揺り戻しが起きている。2026年の人々が求めているのは、効率化によって削ぎ落とされてしまった「物語の重み」と「固有の体験」だ。
通販でボタン一つ押せば翌日には届く時代にあって、現地を訪れ、木造の引き戸を開け、対面で包みを受け取る。その一連のプロセスそのものが、失われかけた人間らしさを取り戻すデトックスになっている。「ここに来るまでの2時間も含めて、このお菓子の味なんです」。東京から訪れたという30代の女性客は、大事そうに包みを抱えながらそう微笑んだ。
近江の風土と共鳴する、地場素材への狂気じみた偏執
菓子の骨格を決めるのは、滋賀の豊かな大地がもたらす素材たちだ。近江米の最高峰とされる糯米(もちごめ)のきめ細やかな粘り、鈴鹿山系の清冽な地下水、そして厳選された国産小豆。素材を選ぶ基準は明快で、妥協という文字が存在しない。
「小豆の煮え具合一つとっても、その日の天候で火の入れ方を秒単位で変えます。素材が持っている本来の力を邪魔しないよう、職人は黒子に徹するだけ」。淡々と語る職人の横顔には、地場の恵みに対する深い畏敬の念が宿っている。工業製品のように均質なものではなく、季節や自然の揺らぎをそのまま受け止める包容力が、菓子の奥行きとなって現れる。
伝統を守るために変える——若き担い手が挑む静かな革新
160年の看板を守り続けることは、過去のレシピをただ盲目になぞることではない。時代の嗜好や人々の体調、気候変動による気温の上昇に合わせて、糖度のわずかな調整やパッケージの意匠など、見えない部分でのアップデートが日々繰り返されている。
伝統とは固定された化石ではなく、絶え間なく流れ続ける川のようなものだ。古い暖簾を守るために、時代に合わせて柔軟に舵を切る。このしなやかな知性こそが、多くの老舗が時代の波に呑まれて姿を消すなかで、愛知川の地で輝きを失わない最大の原動力といえるだろう。
デジタル全盛期にこそ際立つ、舌の記憶という唯一無二の価値
どれほど仮想現実が進化し、視覚や聴覚がデジタル空間に没入しようとも、味覚と嗅覚、そして喉越しの触感だけはディスプレイ越しに体験することができない。和菓子を口に運んだ瞬間に広がるあの温度、鼻に抜ける香気、そしてふっと心が軽くなるような感覚は、人間が肉体を持っているからこそ享受できる至福だ。
旅を終えて宿場を去る頃、口の中に残っていた甘みは清々しい余韻へと変わっていた。効率を追い求め、何かに追われるように生きる日々に疲れたら、愛知川の古い町並みを歩いてみるといい。手のひらに乗る小さな和菓子が、私たちがどこから来て、何を大切にすべきなのかを、言葉よりも雄弁に教えてくれるはずだ。 (出典: しろ 平 老舗(Yahoo!ニュース))